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#670【未来時間創造】流血した人を撮影だけ人間【重要:未来の私へ。覚えておくべき、必ず未来で読むこと必須回】

(今日の公開日記は書き終えてみると、ものすごーーーく長くなりました。)

クライアント企業様に

約58万円もの授業料を出してらって

途中入学することになったある学びの場。

その繋がりの人達が全国から集まる「東京でのクリスマスパーティー」で初めて出会った関西出身の方と

(「同じ先生から教わっている」「ある程度の受講料を払っているので無料のソレに集まる人の集まりではない」という安心感もあり)

難波で合流をして夕食を共にした今日。

先に学びを始められているその先輩から、学び始める前と今を前向きに比較してしまうビフォーアフターな例え話を伺ったり、私の過去の話を聴き出して新たな目線で分析と感想を授けて下さったり、そのお陰様でこちらも思考の整理ができたり、はたまたその方の経歴や人生観を聞かせてもらったり、歌が好きという共通点もあり帰る前にはカラオケにも寄り、素敵な歌詞や楽しいリズムの曲で盛り上がったり一人で色々感動したりと楽しい時間を過ごした後に乗った帰りの電車。私はいろんな意味で(シンクロがまた介入してきているような、宇宙と繋がると言いますか、人間関係が入れ関わる感覚と言いますか。。。言語化不可能ですが。。。)内心ニコニコしていました。

そんな車内で目撃した二つの出来事を書きます。まず一つ目です。コロナが明けて二年ぶりになる年末のか初めての年末なのか記憶が定かじゃないですが、難波駅を出発した電車の中はとっても活気のある「忘年会帰りっぽい人たち」でいっぱいになっていました。それを感じている合間に電車はすぐに鶴橋駅で乗降のため止まりドアが開きます。しかしドアの前に団体でいた人々はすぐに降りるのではなく、年末の挨拶をしながら団体を離脱し降りていく人たち。かたや電車の中に残る降りる人を「じゃ来年ね!いい年越しをね!」と見送る人たち。その気持ちゆっくり行動な双方の人の輪を座席から眺めて「やっぱりテレワークより通勤の方、オンライン会議よりリアル会議の方、そしてオンライン飲み会より居酒屋さんでの忘年会の方が、楽しそうだな。だって人々がニコニコしている!」という心の声を聴きながら、私も楽しい時間を過ごしてウキウキしていたし、楽しそうなウキウキした人たちを眺めて、お酒がほぼ入っていないのに、まるで程よく酔っているかのような気分の良さになり、久しぶりの終電間際の近鉄電車と、観光客が全くいない懐数年前かのような懐かしさを覚える空間を楽しんでいました。

ところが、(ここからが、二つ目の車内で目撃した出来事です)
鶴橋駅を出て石切へ向かう道中、突然右側の方から「バタン」と大きな音がしました。その数秒後に「お兄ちゃん!大丈夫か?」と車内に響き渡る「力強くそして温もりを感じる、大きな声が聞こえてきました。私は、その音と声の方へ目を向けます。すぐに「棒のように仁王立ちの格好のままで床にうつ伏せになっている人」を発見しました。私はちょうど人の間からでもその倒れた人が見える位置に座っていたので「意識が全くない感じ」も見てとれました。急に起きた目の前の状況を認識をするかしないかのとき「誰か連絡して!」という声が聞こえてきたので、1秒ほど考えた後、私は立ち上がって先頭車両の方に行こうとしたら、すでにある男性が「人が倒れたから車掌さんに言って!」と前の車両の人に向かって声がけをし始め、その声が前方車両の方へ「バケツリレー」のように流れていきそうな「雰囲気」を汲み取ったので「では私は後ろの方へ向かおう。前に車掌さんが居られても、運転されているはずだし。。とにかく一番後方車両の車掌室へ行こう」という心の声が聞こえたので、私も「車掌さん人が倒れたと連絡してもらえませんか?」と前の人が、素早くその前の人へ順繰りに伝えていってくれることを願い、声を上げながら、2列で背中合わせに(そこまでギュウギュウではない感覚で)吊り革を掴み並んで立つ人たちの間を、通してもらいながら後方へ向かっていました。すると、すかさず「でもここまだ真ん中の車両ですよ!」と誰かが教えてくださったので「あ。これでは間に合わない。」と心の声が聞こえます。どうしようかと一瞬迷っていると「ボタン押して止めればいい!」と別の声が聞こえてきました。なので

私は「ボタン!ボタン!どこにあります?電車止めないと!」と大きな声で、また「誰かが答えてくれる」と確信を持ちながら、独り言のように呟くように問いかけながら数本歩くと、すかさず「そこ、その扉の横にある!」と誰かが声を上げてくださいました。けれど、私にはその扉が「わからない」。「外へ出る左右ドア」を意味するのか「車両連結部の引き戸」なのかが「わからない」。そんなボタンを意識してみたことがないから「ボタンの位置も検討がつかない」から高さという意味でもボタンを探すための「目線の位置も定まらない」。ボタンを探そうと「サッさっささっさ」と見回すけれど、入ってくるのはジャガイモみたいな人の顔顔顔。「誰が、その声を発しているか」も人が多くて見つけられない。なのに、気持ちだけが焦り後方車両の方へ歩こうとしてしまう自分。

「どこの扉?どこの扉ですか?」とゆっくりと、日常会話の音量より少しボリュームを上げて発話すると、ある方が「そこのボタン!」と腕を大きく前え出して「指し示して」教え下さいました。そうこうしていると次は「何があったの?」とどこからかわからないけれど女性の声が耳に入ってきたので、「前の車両で人が急に倒れました。出血しています」とだけ声を上げる。それと時を同じくして、その腕の方向に「ボタン」を見つけました。しかし、残念ながら自分で押すにはまだまだそのボタンが遠いのです。でも時間がない。「早く、電車を止めないと。バタンのあの人、心筋梗塞や脳梗塞なら1秒を争う」と心の声がよぎり、焦っています。そして目の前には2列で吊り革を持つ人だかり。ボタンまで小走りで進む空間がない。なので車両連結部の扉横のボタン横に座っていた何名か(主に女性っぽい人たち)に向けて、少し離れていたので、さっきよりもう少し大きな声で「お姉さん、そこのボタン、押してください!」と伝えると、すかさずそのうちの一人の方が「これ?これ?」と私にジェッシャーで聞いてこられます。私もそれがその「車掌さんに繋がる緊急ボタン」なのか「何のボタンなのか」「話せるボタンなのか」色々と不明だったのですが、勝手に私の口が「それです。それ。押してください!」と言いました。で、女性はボタンを押して下さいました。すると、ボタンなのかその横の何かなのか今も不明ですが、ランプのようなものが突然赤く点灯し始めました。通話がつながったのか女性がボタンに向かって話しかけているような光景を確認しようとしていたら、私が後方車両の方へ向かう前に、先に前の車両に向かって「誰か車掌さんを呼んで!」と大声で叫んでくださっていた男性が、後方車両の車掌さんのいる場所まで向かおうと、私のいる方向へ歩いて来てくださいました。なんだか私はとてつもなく安堵。。。そして、その男性へ「ボタン押して下さったんで、多分車掌さんには連絡がいきます。ここまだ真ん中の車両でこの人混みの中、後ろまで歩けないです」とだけ告げて、ボタンを押して下さった女性にお礼も言わず

私は、次はとにかく倒れた人が気になり始めて、来た方向へ、今回は通路ができている人と人の間の空間を歩き自分の座席の方へ戻ると、倒れた方の周りで三人くらいの男性が、お声がけされているし、その人を囲むように輪ができていて、さっきのように私が入る隙間がない状況を認識しました。すぐに「そこはもうあの人たちに任せよう」と心の声が聴こえ、私は座席の上に置いていった自分のカバンとエコバックを取り上げて膝に乗せて着席しました。そこから倒れた方を囲む人だかりの方向へ意識を向けて、状況を改めて確認。すると、あるの男性が電話で救急車を呼ばれているような雰囲気があります。それだけでなく、そのまた別の男性が近鉄電車のどこかの駅に電話をされているのか「石切で電車をとめて!人が倒れた!人おろして!」など話されていたように記憶しています。人が倒れられた時はそんなに大勢の人が関わっていたわけではなかったけれど、瞬く間にその場は助け合いの輪ができていて、私は左隣に座る若い女の子に「私があっちへ行った後、どうなったんですか?」と質問を、挨拶もないまま唐突に投げかけました。するとその女性は「石切駅で降りるそうで、意識も戻りました」と教えてくださり落ち着く心。そうこうしていると「〇号車両で倒れた方がいるため電車は次の駅で。。。」と放送が入りある駅(確認していませんで駅名不明です)で私たちの乗る電車は止まりました。それは石切駅よりかなり手前の駅だったように記憶しています。窓の外には走ってくる駅員さんの姿。電車の中は倒れた人を担いで外に運ぼうと「せえのっ」と声掛けし合っている人たち。その人の輪の後ろから、その倒れた人の鞄を外に運び出す人。と、誰も誰にも指示をされていないのに、見事なまでに倒れられて約5分ほどの感覚がありますが、とにかく素早く完璧に安全に電車の外へ運び出された方とその方の🧳カバン。救急車は石切駅に呼ばれていたような雰囲気でしたが、その後、その駅からその方がすぐに病院へ搬送されたのかは今でも確認のしようがなく不明です。その人の無事を願うしかできない今。一度倒れた後に意識を取り戻して一度立ち上がれれて5秒後に、また床へバタンと倒れられたのを座席から目撃していたので、ただの酔っ払いではないような気配でした。

話は電車の中の場面へ戻ります。無事に電車は走りだし、助け合う人々を思い返し「あぁ。関西ってあったかいかも」と心の声が聴こえました。

というのも、去年の年末だったと記憶していますが、ある先輩とお話ししていた時に「つい先日、人通りの多い新宿駅近くの路上でスーツを着た人が倒れられて、それを見知らぬ顔で通り過ぎていく人や、動画を撮影している人がいるのが遠くの方から見えていた。誰もその人のところに助けに行かないなと思いながら、事故なのか酔っ払いなのか、もしくはホームレスなのかと想像しながら近づいてゆき、自分がその人の横にかがみ込み、脈を測って生きているのを確認してから、声を出して『誰か救急車呼んでください!』と大声で頼むと、やっと一人立ち止まってくれて電話をかけ始めた。そうこうしていると別の人が自分の横に来て一緒に助けようとしてくれたけど、こちらがタオルで止血をしているその状況で一瞬周りの確認のために顔を上げると、まだ動画を撮ってる人も何人かいて、その人たちは助けにも来ない。どうかしてるよね?その人たちも。そして、自分が行くまで誰も助けに行こうとしない状況も。私は怖くなりましたよ。もし自分が倒れていたら誰も助けてくれないのか?と。だから自分は助けに行ったわけではないけれど、都会だからなのか、何がどうなっているのか、人がおかしいと感じましたね。」といった内容のことを話されていた記憶が蘇り、その状況を私はこの目で見てはいませんし、その話と今晩のことを比べることではありませんしジャッジをする意図も皆無ですが、今日の電車の車内では多くの人が助けようとされていたことと自然と比較してしまい「関西ってあったかいかも」という心の声を聴いたのだと思います。私は、立ち上がって先頭車両の方向へ向かおうとした時に倒れた人の横を通ったので、倒れた方は血も流されたのをこの目で確認していました。その人に向かって意識が回復するまで「にいちゃん、にいちゃん、大丈夫か?大丈夫か?」と声をかけ続け、意識が戻ったあとも「大丈夫やからな!電車、すぐに止まるからな!石切で止まるからな!(勝手に止まることが決まっていた駅。その電車は鶴橋から石切駅まで止まらない予定の電車だったので、咄嗟に周りの人が石切駅で病院へ搬送できると判断されたのでしょう。)「頑張れよ!無理するな!大丈夫か!」と車掌さん数名が駆けつけドアが開けられるまでずっとずっと声をかけ続けておられた男性。

話が前後してしまいましたが、意識が戻られた時に、その男性が起きあがろうとされたので私は「そのまま寝ておられた方がいいですよ」と声をかけて座席に戻り、隣の女性や目の前の人に、新しいお水持ってませんか?と聞くと、別の女性が

「今、飲まさない方がいい。酔っていそうだし、意識は戻っていても、水が喉に詰まるかもしれない」と教えてくださった人がいて、私は新しいお水を持っている人を探すのはやめました。

その助け合う人々を含め、後ろの車両へ向かうときに自分の荷物を目の前の若い男の子に「この私の荷物、見といてもらっていいですか?」と声をかけていたのを思い出し、その男性にお礼を言いながら、いろんな人の行動に不謹慎ですが温まる私の心。

誰も私の荷物も盗まないし、倒れた人を物理的に助ける人、倒れた方の状況を遠目からきちんと判断される医療関係者。それだけでなく、ずっと座ってその状況を見ておられた方が、電車が再び走りだした後に「電車の中で倒れてよかったね。ホームであんなことになってたら落ちて大変だ」と横の方と話されている。全員じゃないでしょうけれど、誰も「電車止まって迷惑じゃない!」みたいな雰囲気ではなく、それが更に拍車をかけて心が温まりました。

大きな声で指示をする人々とそれを受けて別の人に助けを依頼する助けあう人々の団体。電車の中でまあまあ大きな声で年末の挨拶をしあう電車を降りようとする人々とその人たちを送り出す車内の人々約10名の団体。

コミュニケーションをとっている内容が違うけれど、多くのコミュニケーションを目撃した帰路車内でした。

あ。。0:38。。

書いている途中で、とにかくに日ちが変わる前に、書き終えていないのにブログupボタンを押し、続きを思考の整理もないままに状況だけを書きなぐってしまいました。きっと小学生の夏休み絵日記のような内容で恥ずかしいけれど

今の心の声は

「AIがチャッピーが、どれほど発達したとしても、人として、人を助けることを、私は忘れたくない」と言います。
そのように、自分が自分であるために、とにかく状況を支離滅裂でも言葉足らずでも、同じことを書いている箇所があろうとも、とにかく状況と感想を細かく書いておきたいと感じる今。将来、これを見返す日があれば、その日の自分への注意書きとして残しておきたい今日のこと。

というのも、チャッピー(チャットGPT)の登場でAIとの会話をし始めた人の顔が左右非対称になってきている(事実は定かではありません)といった情報や、ショート動画を見慣れた人たちの脳が破壊され始めたらしく、本が読めないどころか長い動画を最後まで見れないし、映画なんて最後まで見るなんて不可能、という話をよく見聞きするようになり、大都会の代名詞の東京ではそれが「まんざら嘘ではない」といいますか「技術の進化が及ぼす脳破壊」の話があたかも現実味を帯びてくるような「倒れている人が目の前にいても動画を撮ってしまう人」の話などを知り合いから直接聴いていたので、自分もそうなる可能性がなきにしもあらずだなと、危機感を覚えて、今日の出来事を書いておきたいと感じたと分析しています。

これからお風呂です。ドライヤーまでしたら寝るのは3時を超えそう。湯船は今晩の楽しみに⭐︎

それでも、健康な体に、心から感謝をして、温かいお布団に感謝をして、今日の美容室や夕食や電車の中でのいろんな会話に感謝をして、眠りたいと想います。

夜:いつもの日常に、1日が普通であることに、感謝。普通が特別。

  平和な年末を迎えられるであろう今日の日本にも感謝。

  今晩も素敵な夢をみれますように♪

  さっき電車で倒れた方が無事、お家へ帰れていますように。

  あ。。喉が痛い。カラオケが。。
蜂蜜で美しい声に治りますように🤭٩( ᐛ )و

  あ。。0:58。。もう書くのはやめる。おやすみなさい。

朝:昨日忘れた朝瞑想をする!

  昨日よりも更に健康な自分に感謝をする!今日が一番若い日!

  大掃除もする!カーテンを洗う!新調したレースは手で洗う!

  モニターとキャスターが運び込まれてくるスペースを作る!

  自分を支えてくれている全身の細胞が「ピチピチ動く想像」をしてから1日を始める♪!!!

  深い呼吸で、心臓に負担のかからない1日をお過ごしくださいませ。 

Lot’s of love.

緊急時の咄嗟の助けあえる人々の優しさに
い や さ か。

「心ヌクヌク人間」に感謝⭐︎

未来は「心をロストしたようなAI人間」じゃなく、はるかはるか昔の縄文時代より前っぽい昔の、地球資源を共有をしていたであろう、そしてきっと国境も存在しなかったような時代に生きていたと想像ができる「心ヌクヌク人間」で埋め尽くさている。そんな未来を「私はみたい、創造したい」と、私は想う。1:03AM⭐︎なう⭐︎

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この記事を書いた人

始めは、英語、営業、カウンセリングの
スキルを使い仕事に従事しました
「転職記録」を書いていました。

海鈴と申します。

その後
「『心の声を聴く』とは
何をどのするのですか?」と
ご質問を頂くことが続いたことをきっかけに
主に「その日の心の声」と「行動」を
日記として書いています。

最近は、今ある「時間」が
どこの時点の過去から
どのように
「変化してきたのか」を
後から自分で「分析」する時にも
こちらのブログを活用しています。

有益な情報は多くないかもしれませんが
どなたかのお役に立てれば幸いです。

どうぞ宜しくお願い申し上げます。

マリンベル

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