疑問に思うことがあると
その疑問を解決する糸口を探してみる。
特に職場でそれが展開されると無視はできない。
そういう時は必ずといっていいほど
出かけた先で答えに繋がるサインが見つかる。
それは、シンクロニシティーによって届けられるサインたち。
こんな感じの受けとり方や感じ方は、今に始まったことではないし
その答えも必ず最終的な答えでもない。
あの日あの時に脳裏に焼きついた言葉や映像が自分の脳や魂にもたらす疑問。その疑問の答えだと思っていたことの先に、新たな展開があったりするから答えは最終的な答えではない。だから、私たちはきっといつも何かを悟ったと思い違いをしてはいけないと思う。心理の一つを発見したかな?くらいで思っておくのがちょうどいい。
答えは答えではない。自分で決めた思考することの終わりが答えなのであって、自分の最終的な考え方という答えに正解も不正解もない。
だから学び続けることになり、
学びたいから人と会うことになるのだと想う。
それは私の「生まれてきた理由」の一つでもある。
その交流のふとした会話からもたらされる閃きや情報は
自分の六感の全てを使って、
直接得る情報となる。
直接仕入れた情報は、ネットから得た情報とは違い、
「本物の情報だ」と信じられるから
行動をするきっかけとなる。
自分を信じられるから行動ができる。
行動するときは辿り着きたいところが見えている。
あることに対して思考した時間が長ければ長いほど
過去に残した思考がもたらした「答えという点」の数が増えてゆく。
その点が一つ一つ繋がった時は
行動する時で、
その行動のたびに結果があって
その結果たちをつなぎ合わせた時に、
自分の心の声が
いかに正確なのかを知る。
どんな占いよりも、どんな本に書いてあることよりも、どんなに偉い人の言うことよりも、どんな助言よりも
一番正確なのは…(仕事では経験豊富な諸先輩方のお見立てが正しいこともある。聞き耳を持って柔軟に…)
一番正確に自分を未来に導いていくのは
「自分の心の声」だと私はいつも想う。
それはもう「想う」を飛び越えて「確信」しているのかもしれない。
少しでもひっかかるなら「止まれ」の合図。
止まる前に話し合う合図。
トントン進むなら「進め」の合図。
進んでもいつでも後退できる。
今日は亡き祖母の言霊たちを
よく思い出した日になった。
全てに感謝。
全てのご縁に感謝。
そして「健康な身体」と「目の前のただいまの時間」が
何より大事だと
再認識した日。
ただいまを共にして下さる人たちも
とっても大切。
話の通じ合える人たちだけと
生きていく。
そうするには
どうしたらいいのかを
私はずっと考えている。