幼稚園児クラスでのことです。
スナックタイムが始まり
いつものように
3歳の男の子の横に小さな椅子を運んで座り
英語で話しかけていました。
お菓子を美味しそうに食べていたその子が
突然
「赤ちゃん、しんじゃってん」
と関西弁で私に向かって
話し出しました。
一瞬「えっ?」と目が飛び出そうになりました。
3歳の子どもが
そんな言葉をはっきり話すとは想像したことがなく驚き
自分の耳を疑いつつ
「お母さんのお腹に、赤ちゃんいたの?」
「弟さんか妹さんが生まれる予定だったの?」と
理解してくれるのか半信半疑で
たずねてみると
「そうやで」と言い、首を小さく縦に振りました。
すぐに
彼の目に涙がたまり始めたので
私は、会話を…質問を続けることを、やめました。
その子は
たまにスクールまでお迎えに来られるお祖父様の口調と同じ関西弁で
「もう、いないねん」とだけ言い放ち
小さな両手で握っていたお菓子を
また食べ始めました。
私は涙を堪えるのに必死、でもこの状態の会話を放置できず
思考はぐるぐる回ります。
この子は、その出来事を話したいから話してきたのだから、もう少し会話を続けてあげた方がいいと判断をしましたが、思い出させるようなことを話し続けていいのか、はたまた何をどこまで理解しているのか分からず、どんな言葉を掛けるのか悩みました。
理解できた「こと」といえば
「3歳の男の子も家の中のことを
大人並みに理解をし
状況説明は、オブラートに包んだり
しっかりとした言葉で表現したりできること」です。
その言語能力の高さと
涙を堪えているその子の姿に
感動すら覚えながら
「お母さん、体、大丈夫そう?しんどそう?」
と、私の心に流れてきた声を
素直に言葉にして
3歳の男の子相手に
大人の会話をしてみました。
すると、その子は
「うん。迎えにくんで。ママ泣いててん。」と返してきます。
私はもうそれ以上会話は続けられず…
「3歳は子どもではない」という心の声を聴きました。
彼がお菓子を食べるのを
いつもの半分ぐらいの笑顔で眺めていたら
あっという間に
スナックタイムは終わり
みんなで英語を学ぶ時間に入りました。
お菓子のトレイを決められた場所に置きに行くために、
その子は立ち上がり
いつもと変わらない様子で
元気に椅子を持ち上げて
ホワイトボードの前へ歩いて行きました。
それを見ながら私は
「3歳の子にとっても、きっと誰にとっても
社会の中で人と一緒に時を過ごすことは、やるべきことが前から流れてきて、勝手に気分転換になるのかもしれない。
悲しい時や、辛い時ほど、自分を受け入れてくれる
安心のできるコミュニティーに属している方が
精神的に安定するのかもしれない」と長めの
心の声を聴きました。
最後に、ブログ上で気分を転換するのに
昨日のブログの続き、
「子どもを産む」に関して使える
「have」の使い回しについて、書きたいと思います。
“I had(haveの過去形)my first baby (第一子)
last month. ”
『アイ ハドゥ マイ ファースト ベイビー ラスト マンス』
「先月、第一子を出産しました。」
こちらはややカジュアルなニュアンスです。
一般的な「子どもを産む」の英語表現は“give birth”です。
“have a baby”も同じく「出産」を意味します。
気分転換に「haveの使い回し」を書きながら下記の心の声を聴きました。
将来、心の声は変わるかもしれませんが、3歳の男の子との会話を受けて
感じたことなので、自分メモとして残すことにします。↓↓↓
「先月、第一子を出産しました。
それは当たり前に誰もが使えるフレーズじゃない。
地球上の人類は
全て母から生まれる。
女性がいなければ人類は存在しない。
女性が男性のように、もしくは男性以上に仕事をする
キャリアウーマンかっこいい!といった
今の世の風潮に
猛反対したくなる。
何かがおかしい。
〇〇君のお母様が
癒されますように。」