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#602【未来時間創造】過去のバウンダリー(心理学)と精神的断捨離!モーニングでの『想いの整理』から始まる1日

(長くなってしまった今日の日記)

友人のお店で

綺麗なものを2つ購入。

一つは文字入りで素敵。

あとずっと探していた星デザインのものも購入⭐︎⭐︎

その後、初めて会う人と

ドキドキ夕飯を楽しく食べて

帰宅をしたら

フンザさんの有機アプリコットが届いていました。

ウキウキ⭐︎

乾燥アプリコットや

乾燥イチジクは

母が大好きで

母からもらったことで好きになったオヤツ。

なので、お裾分けに

お届けにあがろうと想います(^^)

今日は

昨日の『たっぷり睡眠』のお陰様で

朝からものすごーく活動的に

動いてしまいました。

朝は

530円で「こんなモーニングが食べられるなんて!お得!」

という『心の声』を

毎度聴いてしまう

お気にいりのカフェから始まりました。

(余談:今日カフェはフランス人カップルの観光客が多かったです。)

モーニングの内容は

①淹れたてのコーヒーと

②ものすごく巨大な『厚焼き卵サンド』と③ヨーグルト!に④バナナ!!!です。ランチ、食べられなかったくらいのボリュームです。

朝はこのモーニングの為だけに

まずは家を早く出たようなものです٩( ᐛ )و

大好きな本屋さんにも寄って

本も買って大満足な(今月2冊目。。もう本は「絶対に買わない」と誓ってあるのに。。。無理です。本の購入はやめられない。。。)

久しぶりに一人で過ごす土曜日でした( ^ω^ )

でも久しぶりと言っても、思い返してみると

2月〜5月頃まではこんな感じの土曜日がありました。

『私だけの素敵な土曜日』に「いやさか!!」

と心の声を聴き食べる午前のカフェ。

「食べること、大好き♪」

「断食も大好き♪」

「運動も大好き♪」

「綺麗なものも大好き♪」

「一人の時間の『自由』は好きの範囲を超えている♪」

『大好きな人と過ごす時間も大好き♪』

『でも、メリハリ重要。』

と、心の声をたくさん聴く。

モーニングで想いと感情の整理をスタート!!した1日でした。

【追記:感情メモ】

「でも2月〜5月頃まではこんな感じの土曜日があったのを思い出した。」

と今年の始まりを考えていたときに

「あれ?私、今年の自分のお誕生日どこにいたっけ??」

と心の声が聴こえました。

その時に

『過去の記憶』が曖昧なことに気づきます。

『今年の冬』が遠く遠く過去のことに思えるみたいです。。。。

反対に「2016年と2014年」は『つい先日のよう』と

思えました。

そう思えるのは『モーニング中に巡らせた思考』にも原因がありそうです。

サンドイッチを食べながら

2014年から2016年の頃のことに焦点を当てて

『その頃の想いの整理』をしていた時間が

今と過去の距離を近づけたようです。

整理をしていた理由は

今後の計画を立てるため。

はたまた

世の中はこれから益々、大きく2極化するらしいから

その世界観をもっと受け止めるため。

「その2極化で、2つに分かれた側の人たちはもう交わることすら

同じ空間にいることすらなくなるとか。」

前にも公開日記に書いたかな???

そんなことは5年前くらいから

周りの人がちらほらおしゃっていますが、それはある人にとっては独特な世界観かもです。

世界中の全ての自分を生きる人たちが

『ステレオタイプな世界観ではなく

『各々』が『自分の独特な世界観』で生きているように

私もそんな世界観で生きているから

『世の中はこれから益々、大きく2極化するよ!!』を聴いて

「私はずっとこっち側。。」と心の声を聴いて

自分を信じていました。。

しかし

最近の出来事を思い返すと

その考え方は

まだまだ甘かったみたいです。

過去に練ったの想いのどれを未来に向けるかという意味の

『想いの整理』を朝一番でしていたのですが

『世の中はこれから益々、大きく2極化』と思考がズレていったお陰様で

「まだまだ甘かったみたい」と

心の声が聴こえてきたことをきっかけに

2025年内過去の出来事について

『想いの整理』へと

思考は巡っていきました。

そうなったら、きちんと整理をしたくなります。

【話は過去のことへと続きます。】

私はずっと2極化してく流れの

「軽い楽しい次元の方に行っている」と

過信していとことに

まずは前向きな反省をしました!!٩( ᐛ )و

反省をしたから

まだまだ『精神的断捨離』も必要だと判明。

反省中に勝手に浮き上がってきた

断捨離したい感情と事実は

最近、『頼んでないのに』勝手に入ってきたショートメールにより

創造されたものです。

勝手に感情が湧き上がってきたのは

メールが入った時とその後の

自分の感情について『思考をした時間』があったからだと思います。

不覚にも、考え直したことで、それにまつわる記憶が強化されたみたい。。。

そのメールについての湧き上がってきた感情というのは

「私が自らレールを離れた

その『違うレール』に乗り続けている人から

メールといえど『構われる」とか

『本当にごめんさなさい。本当、やめてほしい!』という感じでした。」

こちらはこちらで

お気楽に過ごしているのに

私の境界を越えられたのが好ましくないみたいです。

そのメールを無視すればよかったのですが。。。

「やめてほしい」と心は言ってきます。

だから、その気持ちごと

そのメールやそのメールにまつわる全てを

断捨離したかったみたいですΣ(‘◉⌓◉’)

メールの件で思考してしまったので

朝の『想いの整理』は

残念ながらそう楽しくない範囲にも及びました。

せっかく素敵な土曜日の朝に使った

『私の命の時間』を有意義に使うためにも

ここに

感情メモ等を残し

未来で活かします。

きっと再発防止に役立ちます!

【感情メモ

断捨離をするモノを見分けるために

「バウンダリー」に的を絞って書いてみます。

まず(1)

「私たちとは違うレールに乗っている」と

少し会話をしただけで感じられる人は(そのレールが良いとか悪いとかの2極論の意味は含みません♪)

多くの場合「バウンダリー」を侵してきます。

バウンダリーを侵すとは

例えば

A:「コロナではマスクをするのは当たり前ですよ!」

とか正義感満々で勝手に無免許の警察官になっている人のアレとかです。

B:「絶対無理だから挑戦しない方ががいいですよ。」もきっとソレ。

C:「ライン既読したらすぐ返すか少なくても3日以内に返すのが常識でしょ!」とかもきっとソレ。

D:「その考え方っておかしくない?」と根拠もなく(時代は変わっていることを知ってか知らずか)時代にも合わないし、時代にあっていても、私は正しいけどあなたは間違っているとジャッジをした上に、『自分の考え方』を押し付けてくるソレもきっとそう。

E:「大丈夫?薬飲んだ方がいいよ?しんどくなりますよ!」とかの呪いの言葉満載のソレもそう。

(上記『E』については、私にとってはバウンダリー以前の雰囲気です。人に投げかける言葉の選択が

自分の『言葉の選択の感覚』と大きくずれているからです。(気分上々の状態から一時的に下がってしまいそうになる自分の波動。その波動を私がもっと上手にコントロールできるようになる必要があるのかもしれません。)

AからEにあるように、一見、相手を想いやっているような言葉も、

深く考えると、実は愛のない言葉がありませんか?

(直接的な「あなたのためを思って、言って(やってる)るんだ!」の言葉に愛はあリマスカ???)

「自分を生きる人」と「他人を生きる人」みたいなニュアンスで

大きく分けた時、私は

私たちと同じレールに乗っていない人と感じる人は

後者の「他人を生きる人」みたいなニュアンスです。(詳しくはまたどこかで書かせてください)

『他人を生きている人』は

他人の言動(常識に極どに縛られている。創造性にかける。守りは得意。当たり障りのない人間づきあいは得意。でも自分心は疲弊している。感情も実は安定していない。だから他人の考えや判断に頼る。)に右往左往する。

だから、『自分も他人を右往左往させられる影響力がある』と勘違いをしてしまう人がいても当然と考えています。

そういう人たちの多くが

バウンダリーを『悪気なく侵してしまうのだと想っています。

次に(2)

バウンダリーを侵してくる

その

ご本人たちは、「ある一言」が

私たちがみんな持っている境界線を越えることに繋がり

『相手を不愉快にしているのかをご存じないこと』について

書きたいです。

その

『不愉快』になる『理由』は

私が私で決めるはずの『選択肢』

相手がまるで絶対的なパワーを使って物事を強制してくる人や、自分を神様と勘違いしたかのような態度で

『奪っていくから』だと考えています。

例えば、楽しいゲームをしているのに「そんなくだらないものせずに勉強しなさい!」と言われて怒っていた10歳くらい年下の従兄弟を思い出しましたので子供のケースで想像してみます。その従兄弟がしたように、小さな子どもだって、自分の『ゲームをする』という『選択肢』を、勝手に親や保護者に『勉強』という『選択肢』に変えられるのは、親や保護者が子供を思って取り上げてしまった選択肢とはいえ、多くの場合子供の機嫌を損ねます。結果、子ども駄々をこねるものです。たとえ、子供が無事におとなしくゲームをやめて、勉強に移行したとしても「ゲームのこの場面が終わったら勉強をしようと思っていたのにぃ!」と『主体的』に行動したかった子供の『心』や『自尊心』を傷つけているかもしれません。余談→そういう場合は「ママ(パパ)は、あなたがお勉強をしてくれると嬉しいな」とか『感情を伝える』と良いそうです。しかし、家事に追われていて、更に、子供が一人じゃない環境とかであれば、そんな冷静な対応はどの保護者にとっても『不可能な域かもしれません。)

とにかく、バウンダリーを侵す人たちは

無意識で

相手を不愉快にしていることに

これっぽちも気づいていないのです。

最後に(3)

そのバウンダリーを侵してくる人たちと

話し合いができないという点について

書きます。

『バウンダリーを超えてしまう思考』と、それによって『引き起こされる言動』(無意識を含む)は

その人の生活環境で

代々、ずっとずっと受け継がれてきた

『思考ぐせ』と『口ぐせ』によるものも多いとは

想像はできます。

想像ができるから、『バウンダリーをバリバリと超えてくるような人たち』との

人間関係構築の『初期段階』では、

心の広い私は許すと言いますか、受け止めますし、受け入れたりもします。

仲良くしたいからです。

しかし、いくら周りの人の責任もあるとはいえ

上の(2)に書きました

『相手を不愉快にしているのかをご存じないこと』

=相手を不愉快にしているかもしれない視点を持てないこと

後々、問題になってきます。

そういった視点が持てない人の話を

実際に見たり、はたまた他の人から聞いたりすると

『同じ職場の人(狭いコミニュティー)とだけ付き合っていたり』

『本音でぶつかり合える友達がいなかったり(現在も過去も)』

『自分がバウンダリーを侵していることを指摘してくれる人がいなかったり』

『常識しか信じていなかったり』

『人との付き合いが少ないのに

幅広く色々な本を読まなかったり(私も人のことは言えた立場じゃありませんが)』

『本屋さんに行って「タイトルだけの流し読み」もしなかったり』

『世界中の人と異文化交流をしていなかったり』

『世界には自分たち以外の考え方をする人がいることを知らなかったり。知識が少ないから広く物事を考えられない』

と、様々なパターンがあるようです。

そのさまざまな状況が作る背景が

バウンダリーを侵す人たちの

思考範囲をある一定のラインにとどめているようです。

思考範囲がとどめられているから

バウンダリーを侵されて不愉快に感じる側の

『思考方法』や気持ちを想像できません。

そもそも、思考範囲はバウンダリーを侵す側侵される不愉快な側とでは

「自分を生きる人」と「他人を生きる人」のごとく

まったく違うと言っても過言ではないような気がしています。

双方の思考をする範囲が、会話を成立させる範囲内にないことが

なぜ問題に発展するかというと、

こちらは何度も「その言動、理解できない。意味がわからない。気持ち悪い。心地よくないからやめてください。」と丁寧に伝えても

同じこと(バウンダリーを超えること)を繰り返してくるパターンが多かったからです。(個人的見解です。)

繰り返されると、始めは受け入れられて

話し合いが持てていても

こちらの心がだんだん疲弊してきます。

心が疲弊すると、楽しい人間関係の維持を望まなくなり

関係の維持が容易ではなくなります。

バウンダリーを超えてこられて、こちらの選択肢を奪われるだけでも

イヤなのに

イヤだと伝えても、改善されずに、バウンダリーを繰り返される状況になれば

相手との会話もしたくなくなりそうです。

(ビジネスの現場でそれが起きたならなら尚更問題で上司や部下や同僚がそうなら精神的環境が乱されて大問題です。)

「会話をしたくない」と思われ始めると

当たり前ですが、バウンダリーを侵している側は

お相手から会話をしてもらえる機会が減ってきます。

その結果、ますます

自分以外の人の視点を知る機会をなくし

相手の立場から物事を見られないという

『悪循環』に陥ります。

きっと、それが、どこまでたっても

「相手を不愉快にしていること」に気付けない原因の一つかなと考えています。

それはもう、仕方がない。

そして、誰も悪くない。

嫌な気分をした私たち側の、私たちのその『嫌な思いをしている事実の伝え方』が悪いわけでもない。

どうしたら分かり合えるかと考えてみても

『通じないものは通じない。』それが答えだぁ♪♪(ウルフルズの曲♪のサビです!)

結果、通じないから会話が続かない。

もしくは、はなから、会話にならない。。。。

だから、そういう「通じない話し合い」を断捨離しないと

自分の心を守れない。

自分の貴重な命の時間泥棒からも守れない!

自分を守るのは自分です。

だから断捨離するべきことは

しっかり、きっちり、バッサリと!

あやまりあえるなら、それはそれ。その時に考える必要があり、考えることが可能なら、その時に考えることです。

ここで、それ以上をシャットダウンして終わり。

「バウンダリー」に的を絞って書いてみます。のコーナは以上3点で完了です。文章構成無茶苦茶でごめんなさい。ここまで読んでくださりありがとうございました。機会がありましたら、バウンダリーについて、改善方法や対応策についても、是非皆様と意見交換させてほしいです。

続いて

断捨離が正しいのかをもっと深ぼりするために別の思考を書くことになりました↓↓

(最後の方にメモしました【不幸になる遊び方】まではまだ少しあります。)

私のもっともっと過去についての整理。

私は、親族から「バウンダリー」を侵されることが

イヤで

中学三年生の時にもストライキをおこしたくらい

イヤ!です。

好きじゃないとかの『好き嫌いの問題』ではなくて

許容できないし

『受け入れられない』の次元です。(自分の命をかけて産んだ子どもや自分より相当年下の方が、バウンダリーをおかしてくるなら、それはきっと許容範囲です。。多分٩( ᐛ )و)

だから、こんな年齢になって

そんなこと(バウンダリー越え)をする相手と(お仕事ならまだしも。。。ん。。。)

『生涯付き合う』だなんて

私はそんな『能力』も『忍耐』も

自分を犠牲にする理由』も持ち合わせていない。

だから、そんな相手からも断。離。離。

バウンダリーを侵されることや、その言動を

不愉快に感じてしまうのは

「〇〇した方がいいですよ!」や

「こうするなら、許す。このようにするべきです!」の助言が上から目線だから。

『私とあなたは同じ人間ですよね?』と

感じるからです。

次に

『それ、私が決めることですから!ほっといてください!』と

『心の声』が伝えてきます。

『私が決めること』という

誰にも侵されないはずの絶対領域のソレだけでなく

私サイドから「あなたを信用しているので、あなたの意見を聞かせてください!」

『お願い』もしていないという状況

不愉快に感じさせる原因です。

私はあなたさまのことを、微塵たりとも

『頼り』にもしていないのです。

どこの誰が、頼りにしていない人の助言を受け入れるのでしょうか?

逆に

自分より経験値のある人だから、自分より判断力が上回るからこそ

「あなたの意見を聞きたい!うちの子を東大に入れたいから、あなたのように東大に子ども4人とも行かせた母親の話を聞きたい!助言してください」という心境になるのは理解に及びますよね。。。

そう考えてみれば

バウンダリーを侵すことの不自然さは一目瞭然なんです。

相手は相手の人生があるし、相手の考える自由があるし、決断の自由もあるのです。たとえ子どもであれです。

自分の考え方を

上から書けば書くほど

言語化が完成されてきて

『バウンダリーを相手に侵されること』は

もう不愉快を通り越して笑えれくるレベルですΣ(‘◉⌓◉’)

「助言をくださいと頼んでないんですけど!」と言いたいこちらの

心境を理解せず

わざわざ「自分の意見」を

必要もない場面で(ディベートならいいのですが。。。)

さほど命にも別状もない大切でもない点を

伝えてくる

私たちのバウンダリーを簡単に侵す人たち。

皆さんは、そんな人にたまに遭遇されますか?

遭遇してその人たちと

会話にならない上に『楽くもない会話』をすることになったとしたら?????

その目の前の人物=お相手は

いつの時も自分の鏡だそうです。

「相手は自分を映す鏡」。。。。。

私は、その相手とは『過去の自分たち』か『今の自分たち』の

『何かと何かが(ほんの少しでも)同じだったはずだ』と

考えて反省をしました。

そして改善するべき箇所のいくつかを見つけました。

こういう流れで、

過去の

ソレをアレとアレを

引き寄せた時の

「自分の何が、どの思考が、どのように、良くなかったのか?」

自分も、血のつながった他人や、赤の他人のバウンダリーを超えていないか?

という点も含めた

『自己分析時間』の多い1日になりました。

私にとって

ノートとペンを広げたカフェや

ぶらぶら本屋さんタイムが

落ち着いて思考できるみたいです。

『人との対話』『本との対話』と『自分との対話』を通した

自己分析による

『想いの整理』が進んだ

とっても満足度の高いグッデイな土曜日でした٩( ᐛ )و

2014年の頃の想いを未来の想いへ馳せる時間はあまり取れませんでした。それは明日のカフェタイムに行います。

ついでにリストを作ることにしました↓↓

【好きじゃないリスト!】

束縛も好きじゃない。

あなたのお仕事をやめてこっちの家業を手伝ってといった(2回とも、離婚の大きな理由はそれだったから。)

自分には古く感じるその思考なんて

本当に好きじゃない。

好きじゃないと感じる理由は

あなたの人生と私の人生が『家族になって交差する』ことがあっても

私は私の命の時間を、あなたや、ましてや『あなたの家』に『全て』捧げることなんてできないから。

これまでの自分の人生を捨てるみたいでできない。。。

それまでのその

支配のようなものに耐えてきた人たちは、愛があってもなかっても

その人たちの選択でそうしたまで。

私は、その選択肢は選ばないし

そもそも『その』選択肢が存在しない。

と、心の声が語りかけてきた過去。

その想いをきちんと言語化して

バウンダリーに的を絞った理由

以外の理由も

しっかり整理をしてゆく。

覚えていればそれをリストにする。

こうやって、自分の好きと好きじゃないが

決まっていくプロセスと結論は

長い目で見ると『人生の宝物』になります。

ここまで、書いて(よく質問を受ける、心の声を聴き続ける作業です)見えてくるものがあります。

見えてくる頃は言語化が進んだ頃。

そしてその頃は

言葉で表現でき始めた頃だから

感情と事実と心理学事項が仕分けされている。

だから、書く前より数倍

その出来事に使った

『想い』が整理されている。

想いが整理されると

変えられない過去が本当の意味で精算される。

精算されるから忘れられる。

忘れられるから

「不愉快だった」といった類の感情に代表される

いろんな執着を断捨離できる。

断捨離をすると新しい空間がポコッと生まれる。

その空間には新しい未来に向けての思考が入る。

だから、未来が明確になり次へ進める。

次とは、もちろん未来時間創造ための時間。

そんな時間を移行し続けてきた転婚届(造語です!!二度目のオリコンなで!あと何度怒るかもわからず!だから気持ちは言葉から軽く転婚転婚ですwww)

が受理された9月30日から今日まで。

全ての流れが

とても気持ちいい。

書くということは時間がかかるけれど気持ちがいい。

私は、こちらの公開日記以外に

ノートもメモ帳もたくさんあります。

本の行間に書いたメモも本を売らないので

たくさんたまっています!

本貯金です!

あー٩( ᐛ )و。もう!0:43です!

大変です。睡眠時間が。。。。。

今日、本屋さんでぱらっとめくった

『精神科医が教える 毎日を楽しめる人の考え方〜脳科学的に正しい習慣術」

という本の1ページに(こちらの本は、その1ページにしか目を通してないのですが)

「不幸になる遊び方」という図がありまして

それを思い出しましたので

記憶ように書いて寝ます。

【不幸になる遊び方】

夜遅くまでゲーム、ドラマの視聴

睡眠時間の減少

睡眠不足で仕事のパフォーマンスも人間関係も悪化。

幸福は「3つ」に分けられる↓↓↓

①セロトニン的幸福→健康の幸福

②オキシトシン的幸福→繋がり、愛の幸福

③ドーパミン的幸福→お金、成功の幸福

睡眠時間を削って遊ぶと

その3つの幸福の全てを失う。

みたいな内容が書かれていました。(写経していないので正確ではないかもしれません。)

「幸福を失う!」という表現に出会ったのは

初めてで、衝撃的で面白いと思いました。

インパクト大で記憶に残った様子。

だからこの公開日記を書いて今0:50。

「幸福を失った」と

心の声が言いました( ◠‿◠ )

寝よう。

健康でいられることに感謝をして寝よう。

目を閉じよう。

両親が元気で穏やかなことに感謝をして。

今日の全ての出会いに感謝をして。

おやすみなさい。。

追伸:

ブログ前にお掃除とか

お気に入りお洋服の『手洗いお洗濯』とか

長風呂でリラックスをしたから

睡眠時間は削られたけれど

「幸福は増えている!」

「明日遅くまで寝ればいい!!!」

「身体を一番大切にしてあげたい。」

今日の最後の心の声でした。

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この記事を書いた人

始めは、英語、営業、カウンセリングのスキルを使い
お仕事をしてきた転職記録を書いていました。

海鈴 (マリンベル)と申します。

その後、「心の声を聴くって、どのようにするのですか?」と
ご質問を頂くことが続き、
主に「その日の心の声」を
書いている自分本位なブログです。

最近は、未来の時間がどのように変化していくのかを
後で分析する時にもブログを活用しています。

有益な情報は少ないかもしれませんが
どなたかのお役に立てれば幸いです。

どうぞ宜しくお願い申し上げます。

マリンベル

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