先日、地元の駅で
地元の駅は一緒ではないし
小学校とかも校区が全然違うけれど
「顔見知りだった先輩」に遭遇しました。
その時、その先輩はチラシを手配り中。
だから
あまりお話はできませんでしたが
「応援したいな」という
心の声は聴きていました。
「応援するかどうかは
その方の生き様など色々知ってからかなー?一貫性があるのかなー?」と
考えつつ
帰宅をしてすぐに「頂いたチラシ「を読み
「うん。応援しよう。」と
心の声は言ってきました。
「無所属」と書いてありましたし٩( ᐛ )و
応援と言っても、自分の周りの3人くらいの人に
「よかったら応援してね!」とお声がけするくらいですが…今は。
先輩が立候補しようと思われた
「きっかけの一つ」になっている「事件」は
我々の地元の駅の中間で起こりました。
お互いの思想の全てを話し合ったわけではないですが
「もう、そろそろ、もっと、多くの人が
『何かがおかしい』って
気づいてもいいのでは?」
と、二人で駅で立ち話をしました。
私の気づきは①祖父が常日頃、申していたことと②白米が大好きな私は、小学校の6年間を通して、あの「白米に牛乳の違和感」が心の奥底に沈んであったのが、中学校の時、あることがきっかけで違和感の全てが浮上し、自分でも言語化できない何かが何かと繋がったことで「気づき」は起こり始めました。
その後、おもむろに、心の声の言う通りに、色々と「この常識はおかしい」と仮定をした上で調べていったことと、仕事やプライベートでの出来事が重なり合って「今のこの国の何かがものすごくおかしい」と22歳の頃には確信するようになりました。その頃は今のようにネットもなく「おかしいでしょ?」と想うことを周りに話せる人もなく、頼りの祖母も他界してて、なんとなく「話が通じそうな大人」を選んで一緒にいようとしていたと記憶しています。それも、こちらの想い違いであったと知る日々もあり…
さてさて、いつからおかしくなったのか…
仏教伝来?黒船来航?明治維新?第二次世界大戦?
その「どれか」の後でしょうか?
それそも、その全ての後でしょうか?
それとも、もともと、何も、おかしくないのか?
私は何と何を比べて「おかしい」と想ってきたのか?
それとも私たち?
「こんな話」をし合う、私たち皆がおかしいのか???テレビがいつも正しいのか?…
私は「にっぽん人!」じゃなくて
「縄文人」でいたい
と想いますが
最近はAIがすごくて
過去の延長線上に存在していた未来はこの先にはないなとか想っています。だから、今まで考えてきたことは雲散霧消?
「爆弾ボン」の戦争ももうないと想うし…と、
夕方にきたラインがきっかけで
その先輩を思い出し
少し考え事をした時の心の声を書きました。
今日は異常に目が疲れています。きっと画面の見過ぎです。反省。
だから早めに
おやすみなさい( ^ω^ )