珍しく帰宅が遅くなってしまった22時半ごろ
一度家に入ったけれど
21日参りも24日で終わったけれど、
夜もそこへ行くには遅すぎるのだけれど、お礼を伝えたい気持ちが湧き上がり
近所の「うぶすな」さんへ行った
「今日の夕方からの時間と、朝の8人ラインやり取りを有り難うございました。共に、回数を重ねることで見える世界が変わりました。神様、有り難うございます」と「うぶすなさん」へ伝えた帰り道、私は想った→「回数を重ねるのには時間が必要。そしてその全ての時間は私の命の時間。ならば、両親から授かった命を大切にしたいから全力で学びたいし、今日までそうしてきた。全力で学んでいるんだから、常に、私の人生は100点で、たとえ他人からの評価が0点などであったとしても、私は完璧!と想う。たとえ、自分のあの言動や判断はいきすぎていたり、間違っていたかも?と後から反省することがあっても、それも学びの一つ。そして、傷つけようという意思を持って相手と向き合ったことは一度もない。良いも悪いもない。その全てが私。今日もそれを学んだ日。皆様に有り難う。学ぶには必ずお相手様が必要だから全方位に感謝です」と、私は想った
そんなことを想いつつ夜道を歩いていたら
あっという間にまた帰宅。23時。
手袋を忘れた手だけは冷たかった。
余談:一回目の帰宅前に、コンビニで
「USOPP」「FRANKY」「NAMI」の3冊を買ってしまった
帰宅前とはいえ滅多に寄らないコンビニなのに…
引越しの度に「本はこれ以上増やさない!」と決めるのに、その自分ルールだけはどうしても守るのは無理みたい
その3冊の買い物は
先日の26日の夜、書類の投函のために寄ったファミリーマートで
パッっと目を引くほどの、鮮やかな紫色の背表紙に、手を伸ばしてしまったことから始まる
その本のタイトルは「ROBIN」
昨日の夜、お布団に入ってから、その「ROBIN」を読み始めた
私の心の声は
「昔から耳にするワンピースをとうとう読むのか」と言ってくる
買おう!読もう!としたきっかけは、綺麗な色の背表紙だけでなく、妹の一声にもあったことその時に思い出した
それは最近、妹に「手術後の今のお仕事のお休み期間は何をしているの?」
と聞いたら
「え?ワンピースを見ているよ!始めから一気に見返してるの!」
と返ってきた声
その声を聞いた時に「私の妹はそういったアニメは見ない子だった気がするのに、ご主人の影響かしら?」
と思っただけで聞き流していた
聞き流していても、自分の大切な人の言葉は脳や心が聞いているらしく、
ファミリーマートで「ROBIN」を手に取ってペラっと1ページ目をめくった後、買おうか迷った時に聞こえた心の声は
「あ!この本、妹が今、一気見してるマンガだ!私も読んでみよっかな。ジャンプで連載の漫画にそんなに興味はないけれど…Narutoは10年前くらいに勧められて全巻買って読んだことがあるし、あれは面白かったし…買おう」
と長い心の声
今、パソコンの横に積み上げられたワンピースの
キャラクターたちを見て
なぜかとてつもなく満足している私
「人の趣味などもあっさり変わるのかもしれない」と
書きながら心の声が聴こえた
さてさて、この4冊は、読了できるのだろうか?
そうなるのならば
年末年始のお楽しみになるかもしれない☆
しかし、私には
放置してあるものがある…
٩( ᐛ )و
さて「楽しみをとる」のか
はたまた
やるべきことを「進める」のか…
進められないことには、きっと「進められない理由がある」と私は想う。言い訳かもしれないけれど…
深層心理で納得いっていない何かがあるのか…
やる気スイッチが入るまで待つとして、
「漫画ワンピース」を楽しむ年越しにするのか
「あれ」を進めるのか
心の声を聴いてあげたい