⭐︎最後まで書いてみたら、ちょっと長くなりました
数日前に(#643 の日)
心の声「accessの追加公演にも行きたい」を聴きました。
だから「心の声」のままに動けるか調整をしてみて
日をまたいでから寝ることになってしまった12月2日になりたての夜中にポチっと。
これで次はプライベートで東京に来ることになりました🎵
一つ一つの自分の「心の声」が
未来時間を創造しています٩( ᐛ )و
今は、そんな楽しみを先に用意しておきたい
時期なのかもしれません。
非日常的な楽しいことが未来に用意されていると
その日までの時間も
特に、やりたくないけどやらなきゃいけないことがある場合、より楽しくなります⭐︎
「未来の楽しみ
今を生きるガソリン」。
(【感情メモ】:その楽しみが、他人を使って自分を幸せにするもの(例えば、まだみぬ孫を想像して、勝手に孫ができたら楽しくなる想像をするのとかは、悪気はないといえど、自分の子どもや孫を使って自分の幸せをクリエイトしていて、ひどい!と私は思う。)ではなく、自分の労力で、自分一人でも生み出せるものなら、自分にとって最高にお手軽気軽!!)
話は変わりますが
accessの追加チケットまで買ったというのに
ここ数日は
自分のラインを開いたことをきっかけに急に聞き出したaccessの曲でも
高校生の頃から大好きな浜崎あゆみさんや
母の影響で私も大好きな松田聖子さんの曲でもなく
CHAGE and ASKA(チャゲ・アンド・アスカ)さんの
「YAH YAH YAH」をヘビロテ中です。
と言うのも、「accessの曲を好きになったのは小学校五年生の頃だ。」と心の声。で、「次に初めて買ったCDは?」と思考が巡り、その答えが最近のヘビロテ曲に繋がりました。
その「YAH YAH YAH」は千円札を握りしめて
母に許可を得て、一人でバスに乗って
買いに行った思い出がある「初々しい爽やかな曲」です。
その生まれて初めて買ったCDの曲を数十年振りに聴いてみて
感動してしまい
歌詞をかみしめ、深く理解するためのヘビロテです。
「幼い頃に『魂』が選んだ曲だ」ということを
認識する心の声が聞こえてきて感動したようです。
魂が選んだだけに「自分の生まれた意味=どうしても考えてしまうこと」
にも繋がるヒントがありそうで
二重に感動。
例えば
「YAH YAH YAH」歌詞の中に
「いまからそいつを殴りに行こうかーーー」とあります。
幼い頃にはそんな歌詞は意識もしておらず、もちろん記憶にも一切残っていません。
覚えているのは
「やーやーや」のところの歌詞と、そのリズムが強烈な感じです。
「殴りに行こうか」に共感したからといって
その言葉どおりに、何かや誰かに、自分の感情をぶつけたいとかではありません。
無論、歌詞を書いておられる「あすかさん」だってそうだと想います。
実質的に戦争を含む暴力は私はたち好きじゃないし
感情が昂るほど嫌なことをしてきた相手でも殴りにいくなんてしませんが、
「殴りに行こうかーーー」という比喩表現に
共感して浮かぶ私の、◯りに行きたい相手がいるとしたら、、、、
その昔、歴史の教科書の「その全てが本当だとするならば」の話になりますが、
「黒船」で日本に来た人たちのその「背後にある人」たちや
「ペリー」の背後にある人たち。
はたまた、調べればどんどん出てくる情報の
「GHQ」の背後にある人たち
などです。
ま、そんなこと、歌をヘビロテしてモチベが上がっても
一人では叶いません。٩( ᐛ )و。。む。だ。考えるだけ無駄かもしれません。が。。。。。
相手も一人じゃないし、叶いません。
曲と同じく、目に見えないコトしてしまっておきます。
そんなことを感じてしまうの一つには
よく本を読んでいた「神風特攻」に志願した祖父の言葉があります。
「アメリカ人たちは日本人を精神から壊して二度と立ち上がれないようにしようとしている」と。
最近突然来日されたゴッドマザーにその話をしたら
「マッカーサーって誰なの?知らないわ」と言っていて
驚きすぎて目玉が飛び出そうでした。
人はそれぞれで、見聞きするものも、触れる情報も、触れたい情報も、そこからもたらされる思考も、同じ血の通う身内でも同じではないのですが、そんな有名人を白人のゴッドマザーが知らないことに驚きでした。
その話をすることになったのは
私、自らその話題を振ったのではなく
ゴッドマザーがある話題を出してこられたからです。
それは日本の問題がよく海外で記事になっているのか
「『HIKIKOMORI』引きこもりが日本ですごいのでしょう?」と。
(余談:海外の人は、会話を続ける話題提供のためだと想定できますが、海外で記事になっている日本の話題について質問してこられることが多いです。例えば、引きこもり、お好み焼き、抹茶、伝統的な女性の立場、電車で寝ているサラリーマンの長すぎる勤務時間、津波の後の日本人のマナーの良さなど)
その理由を私は「私なりに解釈してあること」と
その「祖父の伝言と背景」を
自分の言葉で伝えるために
マッカーサーの名前を出しました。
言語化が難しいですが、話さないわけにいきませんでした。
話さなければ「HIKIKOMORI」がまるで日本独自の文化のように見えてしまいそうです。社会と歴史と家庭環境といった複雑に絡み合った原因があるはずなので、前置きも伝えた上で、丁寧に愛を込めて話します。
話はゴッドマザーとの引きこもりの話に
返答した内容ですが
「引きこもりの人や、今の日本に違和感を感じる人や、人生が楽しくない人が
意図的に日本人がそうされている可能性もあると気づけば
あっっというまにオセロは裏返り
戦国時代を含まない昔の良き日本に
戻れるし
自殺者がG7の中で一であったりすることも
簡単に解決されていくし
HIKIKOMORIも問題ではなくなると想っている。
日本の未来はとても明るい!
心配ご無用です。Thankyou!」と
私は伝えました。(希望を込めて伝えています。言霊を大切にしているからです。)
ただ、そうは言っても
「過去と他人は変えられない」という
事実があります。
だから
引きこもったり、生きる力が半減している人たちは
「自分で元気になってもらうしかない」というのが
愛を込めて出せる、今の、私の答えです。
もちろん、相手が助けを求めてきたら手を差し伸べます。
なので、HIKIKOMORIと自覚している人や周りからそう評価されている人が
ゴッドマザーの言う通りに多くて、このブログを読んでる方の中にもしおられたら
元気があるなら
推しかつを楽しんだり
美食を楽しんだり
休日に家でまったりしたり
ただただ
「自分を大切にすること」から始めてほしいと想います。
(【余談】私の遠い親戚に30後半になる男の子が、就職試験で理不尽すぎる圧迫面接にあい、それ以降HIKIKOMORIになっている人がいます。父方の祖母側の親戚で、一度も会ったことはないので話に聞くだけですが、そういう理由もあり、その彼のことを想ったりもしつつ今日のブログを書いています。)
資本主義だから仕方がないのだけれど
もし環境が許すなら、時計に追われる生活をやめて
心に余裕ができ始めたら
自分の思考は、意図的に誰かによって植え付けられたものでないのか(たとえ自分を愛してくれている両親の言動でも教師の言動でも、尊敬すべき先輩や上司でも、自分が好ましくないと想った言動は全て一度は疑ってください)
「その間違った声が自分を苦しめていないか?」
「その間違った声はどこからきているのか?」
ゆっくりと
自問自答をしてみるのも良いと思います。
苦しめている原因の言動を発している本人(親族、教師、先輩、上司など)ですら、世間の常識のような誰かが何かの利益のために決めたものにコントロールされている可能性もあるからです。そして、そこまで理解ができると、自分も苦しめているように見えた相手も受け入れられるようになります。受け入れられると許すこともできて、きっと少しは楽になれそうです。
小さなきっかけ(気づき)で未来は変わるので「自問自答」はおすすめです。
引きこもりは悪くないし、良くもない。
なんの評価もしなくていい。
その事実があるだけです。
ただ、祖父の読んだ本にあった通り
日本に住む人々がそのような「HIKIKOMORIに代表される精神状態」になるよう
「仕向けられていた」とするならば
それに気づいて損はないと想います。
些細なことに「気づくコツ」は自問自答、
言い方を換えるなら「自分と向き合う時間を持つこと」だと
私は信じています。
最後に
改めて初めて歌詞を読み、魅力を感じている歌
CHAGE and ASKA(チャゲ・アンド・アスカ)さんの
「YAH YAH YAH」から↓↓↓
🎵「わずかな力が
沈まぬ限り
涙はいつも振り切れる」🎵
自分が
何かと悲しかったり
意味もなく不安だったり
自信がなかったり
一歩進めなかったり
鬱気味だったとしたら
そんな時もあるのが人間で普通のことなので
「わずかな力」が浮いてくるように
美味しいものを食べたり
お風呂屋さんに行ったり
愛犬と散歩に行ったり
愛猫と睨めっこをしたり
大好きな飲み物をいつも以上にゆっくり味わったり
その時の
「心の声」に従って
寝たり、遊んだり、ぼーっとしたり、ゲームセンターに言ってモグラ叩きで遊んだり、大好きなきな粉を思う存分食べたり、ちょっと高価なランチをしたり
「自分を大切にできる方法」を
見つけてほしいです。
「わずかな力」。
それはいつか「大きな力」に。
大丈夫。
私たちは、いつだって大丈夫。
私たちは、誰もが
自分の「命の時間」を生きるために
生まれてきた存在です。
誰かの利益のために、誰かにコントロールされるために
誰かに使われるために
生まれてきたのではない。
その誰かは
残念ながら
親族も含みます。
だからこそわずかな力まで
削がれてしまうことがあるのかもしれません。
おやすみなさい🎵
今日も、心臓に優しい1日を。
