むかしから雨は「恵の雨」で「ありがたなぁ」と感じてきたし、雨音も大好きだし
アジサイの上にしたたる雨水の美しさを眺めるのも好きだし
長靴でバシャンと水たまりに入るのも好き。
けれどけれど
嫌で嫌で仕方ない雨の日の「外出」。
そんなことを書くのは
夕食を終えて、消化の時間を待って、ウォーキングに行こうかと用意をしていたら
ポツポツと音が聞こえ窓を開けると案の定、
雨が降り始めてきたからです。
「んー、さっきまで曇りだったし、弱い雨だから行く?」と心の声をきき、運動だし外へ行こうか悩みましたが
高校生の頃に決めた「雨の日は学校行かない」ルールに従って
外出はやめておきました。
今その「嫌」を分析してみると、雨の日に外出をすると身体が底から冷えるので、本能的に好きでないようです。
「雨なら学校休み。雨なら仕事休み。稲刈り休み‥」
みたいなかんじで、本当は、そんなかんじでいいはずな、この世の中。この地球。
でも、実際は「ルールルール常識常識」でがんじがらめな(私の家は祖父母もぶっとんでいた方で食べ方や立ち方などの茶道のような躾、以外のルールはあまりありませんでしたが)ヒトモノコトの多いここ最近。(最近とはたぶん明治以降かな?)
変なルール、その少人数の誰かたちだけが得していきそうなルールに(ある意味それで、こちらも、富も享受していますので文句を書いているのではなく、自分の感じる『不思議』ポイントを分析しているだけです。あしからず)
合わせてゆく、多くの人々。
たとえば
「誰かにめいわくがかかるから!」というのは
「約束した外出」のようなものを破るのは迷惑がかかるのは私も経験済みで、『いつなんどきも雨でも破っていい』とは、きっと言いきれないけれど
いきすぎた「迷惑をかけたらいけません」という
一般の大人たちがとくルールが
私の感じる「変なルール」です。
なぜなら
まじめて、まことの旗をかがげるようなにっぽん人は
そもそも、もともと迷惑をかけるようなことは
普通はしないからです。
だから「人に迷惑をかけるな!」というルールができたのは、そう言う人たちが現れたからですよね?とか考えたりしてしまいます。
その続きでどうしていきすぎた「人に迷惑をかけるな!」のようなルールが、今でも増えてゆくのかな?とか
考えたりしちゃいました。結論はまだ中途半端なのでここに書くのはやめて…
ルール以外にも行き過ぎたものがあります。
たとえば「いきすぎた配慮」。配慮が過大な、今の、ここ最近の世の中。
たとえば、最近知ったのですが
「パワースポット」という言葉がありましたがそれが使用禁止の方向に向き始めたのだそうです。パワースポットじゃないところはダメなのか?みたいに想う人がいるらしい。それらがいたとしても、「そちら側に過度に合わせなくてよくない?」と感じるのは私だけなのでしょうか?
また、アメリカかカナダか
イギリスかしりませんが「メリークリスマス」と祝っていた地区でその「メリークリスマス」という
言葉の使用が禁止といいますが、避けられているとか。
詳しくも、本当かどうかも知りませんが…
調べようと思ったらチャッピーに聞けば早いので、興味もそこまでなく、わざわざ調べていません⭐︎あしからず⭐︎
話を戻します。外は雨な午後の
「運動不足になった今日のこのあとはどうしよう?」という
心の声を聴く18:07
朝:カイロを4つ。卵巣の上に2個。首に一つ。尾骶骨上に一つ。こちらは、そんなかんじです。
手がつめたければ、カイロを増やして、極力身体がヌクヌクな状態でいて下さい⭐︎
もしくは、深呼吸を頑張るか笑ある番組やYouTubeを♩
すれば、酸素をたくさん取り入れられて、ミトコンドリアを動かしちゃえます⭐︎
今日は短いから、日記を上から読み返して手を加えてここまでたどり着いたら18:30。雨、やんだから行こう。
と思ったら、外はまだ雨。
パネルヒーターの音が大きくて雨音が聞こえていなかった様子。
雨で取り込んだお洗濯を、室内で乾かそうと2台ともスイッチを付けたので‥
昔の人は、雨の時の洗濯物は、そんなことして乾かしていない、機械がないから乾かせないけれど…なんでいまは?
