一族のDNAによるものかもしれないが
あの世とこの世の狭間を行き来し
この世に復活してくる「持ち直す力」を、今回もまた目の当たりにした
だから「復活してくる力強さ」を自分の目で直接見る回数がまた増えた
ある説によると人の寿命は決まっているらしい
「瀬戸際からの復活」を「親族の先人たち」に見せつけられるたびに
私は「寿命というのが決まっているという説は、あながち本当かもしれない」と考え、素人目線で分析をしてきた
そしてデータが蓄積されていくたび「どうやら人には前もって決められた寿命はある」という心の声を聴いてきた
そして「私は私の心の声を最優先にして生きていこう」とその都度想ってきた
なぜなら、寿命が決まっているなら、自分の人生に起こる事もおおよそ決まっていると考えたからだ
もし運命というもので決められているのなら、その運命に繋がっていきそうな自分の心の声を聴いて行動を積み重ねた方が
常識や世間の声といった、他人の声に耳を傾むけて行動するより
「何倍も自分らしく人生を歩める」と想うからだ
自分らしく生きている人を見ると、私はなぜだか安心する
一歩外に出て周りを見渡してみると、「自分らしく生きている大人」と「そうでない大人」がいる
私は、いつだって、自分らしくあるし
この先も「私は自分らしく」生きていきたい
だって、一回限りの人生は、私のものであって
他の誰のものでもない。人生の全ての時間は自分の命の時間だ
あなたの命は、あなたに繋がる全ての「ご先祖様」から「受け継いできた貴重な宝物」だ
私はいつだって、その「引き継がれてきた宝物」を「自分で守る強さ」を備えていたいと想う
もし、あなたのただの知り合いや、あなたの大切な人や、そのどれにも属さない他の誰かが
本人や誰かの利益や何かを守るために、「あなたを命を使って利益を得ようとしてくる」状況に出くわしたら…
そんな人に出会った場合は「あなたの貴重な人生の時間をその人に使わせてはならない」と私は想う
そしてそれとは真逆の「私の命の時間とあなたの命の時間」を自然と認識できている仲間や友やライフパートナーに出会えたときは
巡り会えたことに感謝をしたい🩷
「自由を与えあえる関係の先」には
信頼し合える関係が待っている🩷
信頼のないところには、私たちが一番大切にしたいと思っている「愛」も育たないだろう
自分もそんな人間でいられるように引き続き努力をしたい
そんな自分であるためには
#155に書いた、「『ただいま』に自分を連れ帰る力」も必要になるだろう
何を持ち直すかはさておき「持ち直す力」も必要だろう
他にどんな「力」があれば、今よりもっと「自分らしく」「気楽に」生きていけるのだろうか
また明日からも、気が向けば、フリータイムに考えてみたい
そして、「持ち直す強いDNA」を目の当たりにできたことに深く感謝をして、1日を始めたい