人と出会って一定の時間を過ごしたとき
その瞬間や帰宅した後に
「楽しいな」「楽しかったな」と感じられるのは
その人の「考え方」(=『心の声』に近いもの)を知れたときで
個人的には会話の内容は「気分の良いもの」と「世界が良くなりそうなこと」ならなんでもよく
その人が話すことに見え隠れする「どうして?」に興味があるようです。
もちろん、私の「どうして」にきちんと返答くださらない方もいます。それは当然のことで「話せない事情」や「話したくない気持ち」もあるはずで「仕方ないなぁ」と自分の満足を満たせなかったことで湧き上がってくる「わがままな悲しい気持ち」に蓋をします。
例えば「新しい会社を作ったんだよね」とお相手がお話しされたら
私はそのいきさつの全て=「どうして」と、その背景にある選択の時の判断基準みたいなもの=「考え方」「どうして」
を知ってみたいのです。その後に、自分ならどうするのか考えて楽しんでみたり…
その話題にまつわる感情はその人の声色や顔色に出ているので
ほとんど質問することはありません。
反対に、子どもとお話をしていると
「どうして?」を聴かなくても語ってくれることが多いです。
子どものそれと比べることではないと存じますが、大人はそうじゃない気がします。
なんでだろう???忙しいから???
とにかく「どうして」を知るのが好きなので
昔から
「特定の誰かをターゲットにした話題」「つまらない噂話」「ドラマの話」
そういった「人の輪を作る話題」なるものに参加していなかったのかな?と
自分分析。「噂ばなし」に当人の感情を含めた真実に近い物語は存在しないから、面白くないのでしょうか?
「人と会う理由。」
それは人さまざまで
「人と会う、会わない」選択も人さまざま。
楽しいと感じたことを
繰り返していたい٩( ᐛ )و