夕方実家へ行った
元気が出ないだろう母を誘って外食へ行くことにした
飲食店に着いて、ご飯も半分くらい食べ終わった頃
私は、母と私のコップをも持って、再度お茶を汲みに行った
テーブル席に戻ってくると、母が真っ赤な顔をしている
泣いているとすぐにわかったが、さっきまで元気にご飯を食べていたので、びっくりして「どうしたの?」と聞いたら
母は、ハンカチで目元を押さえながら、私たちの空席だった隣の席のその隣に座っておられる
体格のいい男性2人の方を見て、また私へ目線を戻す
泣いているから当然だけれど喋れないのが見てとれる
コップを母のお箸の近くに置いて私も着席する
しばらくして母が話出した。ひっくひっくしているので、聞き取りにくいが
「隣のお二人の食べ方と、美味しい、美味しい、美味しいと言って食べているのを見て…」
と言って、また嗚咽の混ざった泣き方が続く
話を続けられない母。だが、母が何を言いたいのかは想像できた
もらい泣きしそうだったが、それは私の役目ではない
一番最適だろう言葉を探すが
「笑かしてあげたい」という心の声が聞こえてきた
だから私は、その母の姿を写真に撮った
そして母に「スマホで撮影した母の姿」を見せた。そうすると母は「恥ずかしい!こんな外で、しかも食事中に。しかもこんな顔で!」と言いながら泣き笑いをし始めた
それでも泣いているが、涙を誘う感情からは抜け出したように見えた
ほっと安心した
お店に流れる「ヒュルリーヒュルリーララーアー」の音楽も、母が言うには涙を誘ったらしい
そうこうしていると、突然母の電話が鳴った
母は、いつも通り身体が少し上に飛び上がった。悪い知らせの電話と想像したからびっくりしたのだろう。スマホカバーをすごい形相で開ける母
そして、「あ。違う。〇〇ちゃんだわ」と言って緊張で上に上がった肩が下がった。電話に出た
電話を掛けてきたのは姪っ子だった。母の孫娘だ。中学1年生になった彼女は
相変わらず、虫の知らせに似たような行動を取る
お稽古があるから滅多にこんな時間に電話は掛けてこないのに
「ばぁばの家に行っていい?」と聞いてきたそうだ
母の顔が、ばぁばの顔に変わる
「どうしたの?何かあったの?」とシャッキとして
姪っ子を心配している。電話を切って、バス停まで姪っ子を迎えに行くことになったので、急いでお店を出る
姪っ子を連れて実家に帰る
帰る道中、姪っ子に私は「ばぁばは、泣いていたんだよ。あなたが電話してくる、ほんの数分前まで。ありがとうね」と状況説明とお礼をしておいた
帰宅後、私と母でオムライスを作る。姪っ子ちゃんはテレビを見ている
「人は人に助けられる」と昨日書いたが
今日もそれを実感しながらお料理をしていた
私一人では、母を100%元気にはしてあげられないが
姪っ子が加われば話は変わる
別の姪っ子が実家に登場する
妹が帰宅したみたいで、姪っ子たちにも帰宅を促す電話を母にする
その妹からの電話を受けたことで、母は外食先のデーブルで泣いた後の短い時間に、4人もの女性と話すことになった
話すとは離すとも取れるそうだ
悲しさ、不安、恐怖、後悔などの
念にとらわれたら、その念を離すために
人と話すことで元気になるというか
平常心の自分に戻れることもあるのだと想う
とても学びの多い一日だった
視野が前より少し広くなる時、抽象度が更に上がる時は
同時に得られる学びがあり、それはいつだって「楽しい経験だけで得られるものではない」という
心の声が聴こえる
楽しいことも、そうでないことも
それを乗り越えた回数分だけ、人は人を、自分を縛ってしまう色々な念から解放させてあげられる人になれる