自分が想う正しい姿勢で座ること
を大切にしている人
おかげ様で通路が狭くなる
ということに
気づいていないクラスメート
毎回、毎回
その人の後ろを通るたび
「すみません通してください」
と言わなければならない
「何回、言わせる気ですか?
面倒なんですけど?ここ
あなたの家じゃないわよ。
椅子を引いて座りなさいよ。
貴方の椅子の後ろは通路なのよ!」
と、何度、伝えようと思ったことか
先生方も、そのクラスメートの
後ろに座る人たちが質問をして
その生徒の机に歩いていく時
その椅子の後ろはを通らなければならない
だから通る度にその生徒が気づいて
椅子を前にずらすことを待たないと
もちろん通れない
一度ならまだしも、何度も何度も
先生方も通路を通りにくそうに
されている
そのクラスメートの座席の横
に立、先生方は通行できるまで
待っている
本の少しの時間だけれど
すんなり教室の道を通りたい
と想うのは私だけかな?
その先生の姿や
クラスメートの姿が
その人には見えてないのかな?
それなら「仕方がないかな」と
想えるけれど、
私なら、何度も何度も
クラスメートに
「すみません、後ろ通ります」と
言われば
自分の座り方を変えるけど…
広くない教室ですから
その人はそれだけでなく
お手洗いに行く時も
椅子を出しっぱなし
にしている
元々、背中が向かい合わせに
なるように配置されている
パソコンデスクの並ぶ教室で
通路の両サイドの
二つの椅子が出しっぱなしだと
通路は椅子で塞がれてしまい
通行ができなくなる
広くはない教室
でも、各自が椅子の後ろの
通路のスペースを考えて
小学校や家で教えられた通り
通路を塞がない座り方ができれば
問題はない
休み時間も椅子を机にしまって
どこかに行けば人が一人
通れる通路の幅はある
それだけではない
椅子の出しっぱなしも
だらしない
私も家庭で祖母や母から
椅子を机の中にしまうように
教育されてきたが
忘れてしまうこともある
パソコンに気をとられて
周りが見えなくなることもある
だから
私も気をつけようと想った
椅子を出しっぱなしにして
教室を出て行く
その行為により通路が塞がれている
あなたの後ろに座る3名は
あなたが放り出していった
通路にある椅子を
毎回毎回、手で机の
方へ押しのけて
お手洗いに行ったり
教卓にの方へ歩いていく
申し訳ないと思わないのかな?
小学校で習いましたよね?
起立をして授業の始まりの挨拶の時も
椅子は机に入れましたよね?
その流れで、
座席から離れる時や
家に帰る時は
先生方から
「椅子は机の中に入れましょう」
と習いましたよね?
社会人の新人研修で、そのことを
注意している講師に出会ったこと
もあるので、社会人も
教えられることですよね?
自宅でもそうですよね?
習わない人がいるのかな?
私も自宅では
背もたれにもたれかかって
座らないので(背筋を伸ばして座る。
着物を着て帯が背もたれに
当たらないように座る感じ)
家族が冷蔵庫に行く時などに
通る通路になっている部分に
自分が座っている椅子が
かなりはみ出す
その座り方をカフェや教室など
公共の場ですると
私の椅子の後ろを通る
クラスメートや
先生のさまたげになり迷惑だから
学校などでは、机にお腹がぴったり
ひっつくくらいの距離になるまで
椅子を机に近づけて座っている
もちろん背もたれには
ぴったり背中をつけて
座っている
そうすることで、
通路を開けているつもり
私の真後ろに座る方も
違う列のクラスメートも
そのように腰掛けている
状況を理解しているからだろう
考えればわかることじゃないのかな?
その人は自分のお気に入りの
姿勢で座ることを優先している
のだろうか?
それともその姿勢でしか
座れない特別な理由でも
あるというのかな?
何度も何度も先生方や
クラスメートが通路を
通りにくそうにしているのに
気にも留めないのは
なんでだろう?
もう2ヶ月にもなるよ…
毎日毎日、毎回毎回
なんでなんと想わないのか…
電車でも似たような人を
たまに見かける
例えばあしを投げ出して
座っている
こういう自分のことしか
考えられないタイプの人と
関わりたくないなと想う
昔はそんな感じの人にでも
ニコニコ接するか
仲良くしたいと想う友達なら
「私迷惑してるから、それ
やめてくれない?」と
話し合ってみたりもしていた
でも
もう、そんなことも辞めようと
思った。なぜなら
私のエネルギーの無駄づかいになる
と教えられたからだ
「自分のことしか考えない人とは
かかわらないのが一番いい」と
昔、先輩が言っていたのを
思い出した
その先輩は付け加えて
「あんた、いつもニコニコ
ヘラヘラしてるから
性格が悪そうな人が前から
歩いてきてたら挨拶するでしょ?
私は感じ悪そうな意地悪そうな
人が前から歩いてきたら
すれ違いざまに
目なんてあわさないし
挨拶も絶対にしないよ。
挨拶されても無視するよ。
例えそれが
自宅のあるマンションの
廊下でもね」と
言っていた
日本には
変な人にも優しく接したり
苦笑いで対応する人が
多すぎると想う
私の母なんてそのいい例
いい人、穏やか人、可憐な人
すぎる
「和を持って尊しとなす」という
思想のなせる平和な日本の
ベースにある素敵は
考え方だけれど
全ての人と和を持つことはない
だからといって喧嘩や口論を
する必要もない
ましてや、そんな相手に
意見を述べる必要もない
無関心になればいい
愛の反対は無関心という
くらいだから
関わらないのが一番
そんなタイトルの本を
最近本屋さんで見かけたことが
あるような気がする
世の中の多くの人が
たった一人の行動により
気分よく過ごせない場面に
出会すことがあるのだろうk?
私は
先輩が教えてくださった通り
挨拶もしない
そんな感じでいこうと想ってる
最近
そういうメンタルを持つことが
いじめっ子から自分を守る
ことにも繋がるのかもしれないな
とも感じる
「相手が良い人でないのなら
こちらも良い人に
ならなくて良い」
私たちはお釈迦様じゃない
どんな人かわからないから
入学して間もない頃や
入社して間もない頃は
礼節を持って
全ての人と接すればいい
その礼節を継続させるかは
観察してから決めればいい
何度かそれとなく
こちらが不愉快な思いを
していることを
その人に伝えてみる努力をするのも良い
仲良くしたいと想うならそれも良い
人に愛を持って接せられる人
時に厳しく助言してくれる人も
愛のある人だと私は想っている
そんな人とだけと仲良くして
そんな人とは挨拶もして
お食事も行って
生きていけばいい
「いい人になりすぎなくていい」
「全ての人に礼儀なんていらない」
という心の声を聴く
そういえば
他のクラスメートが
「昔に通った学校の隣の席の
人が、いつもいつも
私に好ましくないことを
言ってきてた」
というような話をしていた
そのクラスメートは
とても優しく穏やかな人
だから、多分
隣に座るその人に
毎朝、挨拶をされたり
話しかけられたら
返事をしたりして
相手をしてたんだろうなと
想った
そういう時も
そんな相手には完全無視でいい
目の前に貴方はいない
という態度で空気にでも
触れるかのように
こちらは毅然としていれば
相手はこちらに嫌なことを
言ってこなくなるはず
「育ちや思想がその人の
人格を決める」と
祖母は言っていた
祖母なき今、
自分の体験から
その通りだと納得できる
祖母が残してくれた家訓に
「その人に愛があるかどうかも大切」と
家訓に付け加えようと想った
私もまだまだ未熟者だから
お人好しにならないよう
自己犠牲はほどほどにしながら
同じことを人にしないように
気をつけたい
「自分も相手も
気持ちよく過ごせるように」
ホスピタリティー精神を
大切にしながら
これからも
仕事も日常生活も
継続していきたい
追記:
万が一
この記事がそのクラスメートの
目に入ったら
その人だと特定できるから
その時はその人と
腹を割って話そうと想う
時間の無駄になるから
そうならないことを
祈るのみ
自分も気をつけないと
いけないから覚書記事
にしておきたい
その人が
このサイトを
知る日来るかも知れないから
余計なことまで書いておこう
という心の声を聴いたから
たかが椅子の件で
追記まで書いている
この
私の命の時間がもったいない…
という心の声を聴く
けれど日本のどこかに
同じような想いをしている
人がいるかもしれないし…
そんな人と共感しあたらいいな
されど椅子だ
後三ヶ月も学校はある
「すいません、後ろ通るんですけど」
三ヶ月も毎日、毎時間
言いたくないですよね?
頼むから
気づいて
「授業中も休み時間も
その貴方の椅子が
通行の邪魔になっています」
私たちは心の声を聴くプロフェッショナル。私たちは、自分の心の声を聴いて、自分だけの未来時間を作るプロフェッショナルです。さあ、自分の心の声をもっと聴こう!Best Wishes,